あなたが想像してみてください。手に入る食べ物や着るものは全てが高級品、多くの召使たちに囲まれ、教養ある教育を受け、何の困り事もなく豊かな生活を送る王族として生まれた男。彼の名前はシッタールタ。しかし、その贅沢な生活は城壁の中だけで、外へ出ることは許されていませんでした。親が選んだ遊び相手や結婚相手と一緒に暮らし、子宝にも恵まれ、平穏無事な生活を送るはずでした。
しかし、ある日、シッタールタはこれまで見たことがない城壁の外をどうしても見たくなりました。
- 彼は親には黙って、お付きの人たちと一緒に城壁の外へ出ました。
- 外で彼が出会った最初の人物は、衰えた老人でした。
- 次に出会ったのは痩せ衰え、咳き込む病人、そして死者の葬列でした。
これらの光景に直面したシッタールタは衝撃を受けました。人間が老い、病み、そして死ぬという苦しみを初めて知ったからです。
そして、彼は新たな悩みを抱えるようになりました。それは、人間の避けられない苦しみ、老いと病み、死ぬという事実にどう向き合うべきかという問題でした。
彼が再び城壁の外へ出かけたある日、彼は修行僧を見つけました。その修行僧の清々しさに触発され、シッタールタは修行に入ることを決意しました。その時点で彼は29歳でした。愛する家族と快適な暮らしを捨て、彼が向かったのは瞑想の達人のもとでした。
“初めての瞑想家:瞑想の7段階への道のり”
シッタールタは初めて出会った瞑想の達人から、瞑想の深遠な技法を学びました。その達人には300人以上の弟子がおり、瞑想レベルの8段階中7段階まで達成できるという人物でした。彼から瞑想の方法を習ったシッタールタは、その技術を身につけるのに時間はかかりませんでした。彼はわずかな時間で7段階目の境地に到達しました。その達人からは、共に弟子たちに指導をしようと誘われましたが、シッタールタはそれを断り、さらなる高みを求めるために次の達人を探すことを決めました。
二人目の瞑想家:最高レベルへの挑戦と真の解答への探求
次に出会った瞑想家は、700人以上の弟子がいる凄まじい人物でした。その人物は8段階中最大レベルの8段階まで達することができるという、前の達人をさらに超越した存在でした。この瞑想家の元で瞑想の技法を学んだシッタールタは、またしても僅かな時間でその最高レベルに到達しました。
しかし、その瞑想の境地に到達したとしても、内なる苦しみの問題は解決されないとシッタールタは感じました。既に確立された瞑想を先生から教わって、だんだんできるようになって一定レベルまで行ったら、合格ですという形の修行は、彼にとっては学校のような学びで、真の解答への道筋とは感じられなかったのです。
彼はこれ以上学んでいく中で、自己を探求し続けるには、ただ教わるだけではなく、自ら体験し学び、自身の感覚と理解を深めることが必要だと気づきました。
瞑想が行き詰まったことから、シッタールタは次に自己の苦行の道を進むことを決意しました。彼は山へとこもり、厳しい自己修行を始めました。
- 彼の苦行は、自分の髪やひげを抜き去ったり、長時間立ち続けたり、呼吸を止めたり、棘の上に寝そべるなど、極限の状態を追い求めました。
- 1日に食べるものはお米一粒という極限の断食も行いました。
シッタールタがこのような厳しい苦行を行ったのは6年間にも及びました。しかしながら、その間も彼の悩みは解決せず、最終的には苦行も打ち切ることとなりました。
衰弱した身体で山を下り、シッタールタは木の下で休むことを決めました。
自分自身を突き詰めた彼の旅は、まだ続きます。王族から修行僧へと変身したシッタールタの物語から、我々も自己の問題と向き合い、答えを見つけるための勇気と探究心を学ぶことができます。