こんにちは、tori3です。今日は皆さんに、とても興味深い物語をお伝えしたいと思います。その中には、人生の苦しみと直面し、それを乗り越える方法についてのヒントが隠されています。私が話すのは、29歳で出家した男の話です。
この男の名前はゴータマ・シッダールタでした。彼は素晴らしい人生を送っていましたが、心の中では満たされない何かがありました。それが彼を出家させ、瞑想の道を歩むことになります。
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仏教の基本とは何か
- 近くで見る、だけど理解が難しい: 仏教は私たちの日常生活の一部です。私たちが除夜の鐘を聞き、初詣に行く理由、節分で豆をまく背景、お盆を休む由来等、全て仏教に関連があります。だからこそ、仏教についての深い理解は、私たち自身の文化への理解を深めることにもつながります。
- 宗派の違いではない、教えの本質: 今日、私が解説するのは、宗派の違いや細かな規則ではなく、仏教が何を教え、どのような考え方を推奨しているのかについてです。この記事を最後まで読んでいただくと、仏教の全体像が見えてきて、普段の生活にも様々な気づきが出てくるでしょう。
仏教の起源
皆さんがこの物語から何を得られるかを一緒に見てみましょう。
- 起源と展開: 仏教のルーツは紀元前5世紀頃のインドに遡ります。この時代、ゴータマ・シッダールタという人物が「悟り」を開いてブッダ(覚者)になったとされています。彼が説いた教えは、経典としてまとめられ、後に中国を経由して日本に伝わりました。仏教はその伝播過程で様々な形を取り入れ、現在の形になりました。
- ブッダとは: 仏教とは、文字通り「ブッダの教え」です。ブッダとは、「覚者」を意味し、一般的にはゴータマ・シッダールタ、すなわち「お釈迦様」を指します。彼は釈迦族の王子として生まれました。
- 学びの始まり: 仏教の学びはブッダ自身から始まります。ただし、この「学び」は学校で学ぶような形式的なものではなく、生活を通じて得る自然な経験や体験から得る知識や理解を指します。赤ちゃんが周囲の物や人と接触することで感じ取り、いつのまにか歩いたり話したりできるようになる。これが仏教の言う「学び」です。
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ゴータマ・シッダールタの旅
あなたが想像してみてください。手に入る食べ物や着るものは全てが高級品、多くの召使たちに囲まれ、教養ある教育を受け、何の困り事もなく豊かな生活を送る王族として生まれた男。彼の名前はシッタールタ。
- 生まれてからの人生: ゴータマ・シッダールタは、インドの名家の息子として生まれました。インドには古くからカースト制度があり、生まれた瞬間から人生が決まってしまう時代でした。シッダールタは身分の高い王族として生まれ、その時点で裕福な人生が約束されていました
- 幸福な生活: 彼は食べ物も、着るものも、高級なものが手に入る豊かな生活を送っていました。また、たくさんの家臣たちに囲まれ、王族に相応しい教養を学んでいました。しかし、城から出ることは許されていませんでした。遊び相手や結婚相手も親が選び、子宝にも恵まれていました。
しかし、ある日、シッタールタはこれまで見たことがない城壁の外をどうしても見たくなりました。
- 城壁の外: そして彼は家臣たちを連れて城壁の外へ出ました。そこで彼は初めて老人を見ました。彼は家臣に「あの人はどうしてあんなにヨボヨボなのだろう」と質問しました。家臣が答えるには、「生きている人間は誰でもいつかは肉体が衰えるものだ」と。この事実にシッダールタは衝撃を受けました。
それまで老いるという苦しみがあることを知らなかったからです。 - 人間の苦しみ: 彼はその後、ガリガリに痩せて咳き込んでいる病人や死者の葬列を見かけ、更に衝撃を受けました。シッダールタは人間の「老い」「病み」「死」という三つの苦しみを初めて理解しました。
この深い理解がシッダールタの心に大きな変化をもたらしました。豊かな生活とは何か、本当の幸福とは何かを見つめ直すきっかけとなりました。そして彼は新たな旅を始める決意をしました。
次のブログでは、シッダールタがどのように自己探求の旅に出て、様々な体験を経て「ブッダ」となったのかをお伝えします。
この旅は、あなた自身の人生や幸福について考えるきっかけになることでしょう。それでは次回、シッダールタの旅を一緒に追体験しましょう。お楽しみに。
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