こんにちは、あなた。今日はあなたと共に日本神話の深淵へと旅立ちます。今回の旅の目的は、天の国から地上への力の移動とその結果を明らかにすることです。
天照と地上の国
最初に目を向けるべきは、天の国にいる天照でした。地上の国を治めているのはスサノオの子孫だと思いましたが、それは違うと気づき、天照は地上に使いを送ることを決めました。しかし、使いたちは地上が予想以上に楽しく、現地に馴染んでしまいました。使いを何度も送り続けた結果、天照は経験豊富な使いを送り、交渉が成功しました。その結果、大国主が治めていた地は、天の国の神様であるアマテラスのものとなりました。
出雲大社の建立と天照の孫、ニニギ
大国主がアマテラスに国を譲るときの条件として建てたのが出雲大社です。これが現在の出雲大社の起源です。その後、アマテラスは自分の孫であるニニギに国を治めさせることにしました。地上に降りたニニギは九州で美女のさくや姫と出会いました。そして、さくや姫との結婚と同時に、姉のイワナガヒメとも一緒になることになりました。
イワナガヒメの見た目とその意味
しかし、イワナガヒメの見た目はニニギの好みではなく、彼はイワナガヒメを追い払いました。ここには、さくや姫が桜のように華やかで命が短い一方、イワナガヒメは岩のように長く栄えるという意味がありました。ニニギは見た目だけを重視し、イワナガヒメを追い払ったことで、神々の不死の能力が剥奪されました。ここが神から人への変わり目であると言われています。
ニニギの子孫、イワレビコ
ニニギとさくや姫の子孫、イワレビコはこう考えていました。祖先はずっとこの地を治めてきた。この良い風紀がもっと広がるように、東へと進出しようとしました。そして、大和(今の奈良県)を目指して東へと進みました。しばらくすると、波早(今の大阪湾)までたどり着き、大和まで直進しようとしました。
イワレビコと東の挑戦
イワレビコは新たな挑戦に着手しました。その挑戦とは、祖先が治めてきたこの地をさらに広げ、良い風紀をもっと広めるために東へ進出するというものでした。こうして彼は大和(今の奈良県)を目指して東へと進んでいきました。
波早への到着と困難な戦い
しばらく進むと、彼は波早(今の大阪湾)まで到着しました。しかし、そのまま直進して大和まで進んで行き、そこを治めていた勢力と争うことになります。しかし、太陽の神の子孫であるにも関わらず、太陽の方向に向かって戦ってしまったため、苦戦を強いられ、一度は撤退することになります。
逆襲の戦略と大和の制覇
しかし、イワレビコは決して諦めませんでした。今度は遠回りして太陽を背にして戦うという新たな戦略を考えました。この戦略によって、彼はついに闘いに勝利し、大和を手中に収めることができました。
神武天皇としての即位
そして、イワレビコは大和を都に定め、そこで生活することを宣言しました。この時、イワレビコは神武天皇として即位したと言われています。つまり、日本の初代天皇はイワレビコだったということなのです。
これらの物語は、今でも我々が直面する挑戦や困難に対する対処法、そして勝利のための戦略を教えてくれます。イワレビコの挑戦は、私たちが進むべき道を示してくれ、また、困難に立ち向かう勇気を与えてくれます。
崇神天皇の時代と神社制度の始まり
そして時は流れ、10代後の崇神天皇の時代へと移ります。その時代、疫病が蔓延し、作物は枯れ、国民の半分以上が死んでしまうという危機が訪れました。崇神天皇は神祭りを大切にし、国が良くなるようにと一日中神々に祈り続けました。すると、その土地の神様である大物忌神から、彼を祀れば国は平和になると告げられる夢を見ました。
崇神天皇は夢の通りに行動し、疫病は治まり、作物は育ち、国は元の状態に戻りました。それを受け、崇神天皇は神所、神様が祀られている土地や神戸、神様に特別に奉仕する人々を定めました。これが現在の神社制度の始まりだとも言われています。
垂仁天皇の時代と力比べの始まり
次に、11代目の垂仁天皇の時代が始まりました。この時代には、現代にも通じる様々なことが始まったのです。ヤマトの力自慢と出雲の力自慢を競わせたことが、相撲の起源とも言われています。また、偉い人が亡くなるとその使者にもあの世へのお供が必要だという理由から、亡くなった人の側近も一緒に生きたまま墓に埋められるという風習、殉葬がありました。
埴輪の誕生と伊勢神宮の建立
この殉葬を止めるために、埴輪を作ることで死者のお供をさせるようになったのです。また、先代の崇神天皇が神祭りを大切にしていた影響もあり、アマテラスを祀るために良い場所を探すことに力を注いでいました。各地を巡る中で伊勢国にたどり着いたときに、天から「伊勢の国は美しい、ここにいたい」という声が聞こえたのです。それを信じて伊勢に社を立てることにしました。
そこでアマテラスが初めて地上に降り立ったと言われています。それが今の伊勢神宮なので、伊勢神宮は神社の中でもとても格式の高い場所になっています。
このように、神話の時代からはじまり、神々の意志や人々の思いが形を変えながら続いてきた日本の神社制度。それぞれの神社にはその地域の人々の思いや歴史が詰まっており、今も私たちの生活に深く根ざしています。これからも、その歴史と思いを大切にしていきたいと思います。